
阪神タイガースで将来を嘱望された若虎、横田慎太郎さん。彼の早すぎる引退と突然の別れは、多くの野球ファンだけでなく、日本中に大きな衝撃と深い悲しみをもたらしました。インターネット上では今もなお、「横田慎太郎さんは最後、失明していたのではないか?」「脳腫瘍の病状は具体的にどうだったのか?」といった疑問や、彼を献身的に支え続けたお母様、まなみさんの存在について詳しく知りたいという声が絶えません。

そして2025年秋、彼の人生を描いた映画『栄光のバックホーム』の公開が決定し、あの「奇跡のバックホーム」が再び注目を集めています。この記事では、横田さんが直面した視覚障害の真実、壮絶な闘病の経緯、そして最期の時まで燃やし続けた命の輝きについて、公表されている情報や著書の内容をもとに、私なりの視点で整理し、丁寧にお伝えしていきたいと思います。
記事のポイント
横田慎太郎の失明の真実と脳腫瘍の経緯

ここでは、プロ野球選手としての輝かしい未来を期待されていた彼を突如として襲った病魔の正体と、その後の視覚機能への深刻な影響について掘り下げていきます。「失明」という言葉だけでは語りきれない、見えない恐怖と戦い続けた若きアスリートの過酷な現実と、そこに向き合った日々の記録です。
脳腫瘍の発症と初期症状の複視

横田慎太郎さんの身体に異変が起きたのは、プロ4年目を迎えようとしていた2017年の春季キャンプ中のことでした。一軍定着を目指し、激しい練習に明け暮れていた彼の「目」に、明らかな違和感が現れたのです。
当時の報道やご本人の手記によると、最初は「ボールが二重に見える」「視界がぼやけて、距離感がつかめない」といった症状だったそうです。これを医学的には複視(ふくし)と呼びますが、真面目な彼のことですから、当初は「疲れ目だろう」「練習のしすぎかな」と自分に言い聞かせ、無理をして練習を続けていたのかもしれません。しかし、症状は改善するどころか悪化の一途をたどり、実際には脳腫瘍が視神経を圧迫し始めていた危険なサインでした。
複視とは? 物が二重に見える視覚障害のことです。眼精疲労で起こることもありますが、脳腫瘍や脳卒中など、脳神経系の重大な疾患が原因で引き起こされるケースも少なくありません。片目で見ても二重に見える場合や、両目で見た時だけ二重に見える場合などがあり、早期の精密検査が重要とされています。
キャンプ地を離れ、精密検査を受けた結果、下された診断は「脳腫瘍」。あまりにも残酷で重い現実でした。腫瘍の詳しい病理名は一般には公表されていませんが、脳の深部、視神経に干渉する重要な領域に発生しており、非常にデリケートかつ難易度の高い手術が必要な状態であったことがわかっています。
手術後の視界と視力喪失の恐怖

診断後、横田さんは生きるために、そして再びグラウンドに立つために、長時間に及ぶ大手術に臨みました。手術時間は報道によって13時間とも18時間とも言われていますが、いずれにせよ半日以上続く大手術であり、まさに命懸けの闘いでした。
そして、私がこのエピソードを調べていて最も胸を締め付けられる思いがしたのは、手術から覚醒した直後の出来事です。長い麻酔から覚めた横田さんが最初に直面したのは、光の差し込まない、「何も見えない」という絶望的な暗闇でした。
術後の影響で一時的に視力を完全に失い、光すら感じられない状態が続いたといいます。いわゆる「全盲」に近い状態です。「横田慎太郎 失明」というキーワードで検索されることが多いのは、この時期の壮絶な体験が背景にあるからでしょう。
母へ叫んだ「目が見えない」

当時の様子について、お母様のまなみさんは著書などで、息子がパニックになりながら「お母さん、目が見えない!何も見えない!」と叫んだ時の衝撃を語られています。その後、約2ヶ月間は見えない状態が続きましたが、懸命な治療とリハビリにより、ある程度の視力は回復しました。しかし、完全に元通りになることはなく、視野の欠損や視力低下といった深刻な後遺症を抱えながら生きていくことになります。
脊髄転移による再発と闘病生活

視覚障害という大きなハンデを背負いながらも、一度はグラウンドへの復帰を目指してトレーニングを再開した横田さん。育成契約となり、背番号が3桁になっても、彼の「一軍復帰」への情熱は消えませんでした。
しかし、病魔は執拗に彼を追い詰めました。2019年の引退後、講演活動やYouTubeでの発信など、第二の人生を歩み始めていた矢先の2020年、定期検査で脳腫瘍の脊髄への転移が判明します。脳腫瘍が脊髄に転移するということは、医学的にも非常に厳しい状況、いわゆる「再発・転移」による予後不良のリスクが高い状態を意味します。
脊髄転移の過酷な症状 脊髄への転移は、激しい背中の痛みや手足の麻痺、排泄障害などを伴うことが多く、患者さんのQOL(生活の質)に極めて大きな影響を与えます。横田さんもまた、腰の激痛や足のしびれと闘いながら、一進一退の治療を続ける生活を余儀なくされました。
一般的に、脳腫瘍については国立がん研究センターなどの公的機関でも詳細な情報が公開されていますが、脊髄転移を伴うケースは治療が難しく、緩和ケアが中心となることも少なくありません(出典:国立がん研究センター『がん情報サービス 脳腫瘍』)。それでも彼は、自身のYouTubeチャンネルなどで笑顔を見せ、同じ病気で苦しむ人たちへエールを送り続けました。抗がん剤治療の副作用による苦しみ、コロナ禍で家族との面会もままならない孤独な入院生活。それでも「絶対に治る」と信じて前を向き続けた精神力には、ただただ敬服するばかりです。
視覚障害と闘いながらの引退試合

横田さんを語る上で絶対に欠かせないのが、2019年9月26日に鳴尾浜球場で行われた引退試合でのラストプレーです。
この時すでに、彼の目はボールが二重に見え、遠近感や距離感がつかめない状態でした。外野手として飛んでくるフライを捕球し、正確にバックホームするというのは、常識で考えれば到底不可能なコンディションです。練習でもまともにボールが見えていなかったと言われています。
しかし、8回裏にセンターの守備についた彼のところに、まるで野球の神様が演出したかのように打球が飛んできます。見えにくいはずの打球に対し、彼は迷いなく前進し、捕球。そしてそのまま本塁へ、現役時代を彷彿とさせる矢のようなノーバウンド送球を見せ、走者を刺しました。これがいわゆる「奇跡のバックホーム」です。
医学的な説明はおそらく困難でしょう。しかし、長年の厳しい練習で染み付いた身体の感覚(マッスルメモリー)や、「最後にもう一度だけ」という魂の叫びが、視覚の限界を超えさせたのかもしれません。このプレーは、阪神ファンのみならず、多くの人々の涙を誘いました。
28歳で迎えた最期と早すぎる別れ

脊髄転移判明後も、決して諦めることなく懸命な治療が続けられましたが、2023年7月18日、横田慎太郎さんは脳腫瘍のため28歳というあまりにも若い年齢でこの世を去りました。
その早すぎる死に対し、阪神タイガースは追悼セレモニーを行い、甲子園球場や鳴尾浜球場で黙祷が捧げられました。多くのファンが涙し、彼のひたむきな姿勢と人柄を称えました。「失明」や「後遺症」といった苦難の中で、最後まで生きることを諦めなかった彼の姿は、今も多くの人々の心に深く刻まれています。彼の人生は短かったかもしれませんが、その密度と輝きは、誰よりも強烈なものでした。
横田慎太郎の失明を支えた家族と映画化

横田さんの闘病生活は、決して彼一人だけの孤独な戦いではありませんでした。ここでは、彼を一番近くで、文字通り「目」となって支え続けた母・まなみさんの存在と、その愛と絆の物語を後世に伝える映画作品について紹介します。
母まなみさんが直面した絶望

横田さんの闘病を語る上で、お母様である横田まなみさんの存在は決して欠かすことができません。
手術直後、息子から「目が見えない」と告げられた時のことを、まなみさんは手記などで「想像以上の絶望」と表現されています。プロ野球選手としての華やかな未来以前に、愛する息子のこれからの人生そのものが暗闇に閉ざされてしまうかもしれない恐怖。親としてこれほど辛く、身を引き裂かれるような瞬間はないでしょう。
それでもまなみさんは、自分自身が泣き崩れるわけにはいきませんでした。視力を失った息子の「目」となり、手足となって入院生活を24時間体制で支え続けました。抗がん剤治療で弱る息子を励まし、時には心を鬼にしてリハビリに付き添う。その献身的な愛と強さがあったからこそ、横田さんは最後まで笑顔を失わずにいられたのだと思います。
奇跡のバックホームが生まれた理由

先ほど触れた引退試合での「奇跡のバックホーム」。あのプレーが生まれた背景には、彼自身の努力はもちろんですが、家族やチームメイト、そしてファンの声援という「見えない力」が間違いなく働いていたように感じます。
このプレーを可能にした要素(推測)
- 身体記憶(マッスルメモリー): 何千回、何万回と繰り返した練習によって、体が動きを記憶していたこと。
- 極限の集中力: 「これが最後」という場面で発揮された、火事場の馬鹿力とも言える精神力。
- 感謝の想い: 支えてくれた母や家族、ファンへ「プロ野球選手としての姿」を見せたいという強い意志。
視覚情報だけに頼らない、もっと深い部分での感覚と絆が、あの奇跡の一投を生み出したのではないでしょうか。
映画栄光のバックホームのキャスト

この感動的な実話をもとにした映画『栄光のバックホーム』が、2025年11月28日に公開される予定です。「幻冬舎フィルム」の第一回作品として制作されており、その力の入れようが伝わってきます。
| 役名 | キャスト | 備考 |
|---|---|---|
| 横田慎太郎 | 松谷鷹也 | 主演。横田さんの魂を演じる期待の俳優。 |
| 母・まなみ | 鈴木京香 | 絶望と希望の間で息子を支える母を熱演。 |
特に注目なのは、母・まなみ役を演じる鈴木京香さんです。絶望の中から希望を見出し、息子を支え抜く母親の強さ、優しさ、そして葛藤を、大女優である彼女がどう演じられるのか。予告編を見ただけでも胸が熱くなりそうです。松谷鷹也さんが演じる横田慎太郎さんの姿も、きっと多くの人の心を打つことでしょう。
原作本と主題歌栄光の架橋

映画の原作となっているのは、横田さん自身が闘病中に書き記した著書『奇跡のバックホーム』と、母・まなみさんの視点を記者の中井由梨子さんがまとめた『栄光のバックホーム 横田慎太郎、永遠の背番号24』です。映画を見る前に、これらの書籍を読んでおくと、より深く物語を理解できるかもしれません。
そして、映画の主題歌には、横田さんが現役時代の登場曲として使用し、自身も大好きだったゆずの「栄光の架橋」が起用されています。この曲の歌詞にある「いくつもの日々を超えて」「悲しみや苦しみの先に」というフレーズは、まさに数々の苦難を乗り越えてきた彼自身の人生そのものと重なり、涙なしには聴けない楽曲となりそうです。
まとめ:横田慎太郎の失明と残された希望

最後に、改めて「横田慎太郎 失明」というキーワードについて、私なりのまとめを記したいと思います。
事実として、彼は脳腫瘍の手術後に一時的な失明状態(全盲に近い状態)に陥り、その後も生涯にわたり深刻な視覚障害(複視や視力低下)という後遺症と闘い続けました。その意味で、「失明の危機にあった」「視力を失う恐怖と戦った」というのは紛れもない事実です。
しかし、彼の人生はその「失明」や「障害」「病気」という悲劇の側面だけで語られるべきではありません。見えなくなっても諦めなかった不屈の心、最後まで周囲への感謝を忘れなかった誠実な姿勢、そして彼を支え続けた人々の温かさ。これらは、映画や書籍を通じて、これからも多くの人々に「生きる勇気」や「希望」を与え続けてくれるはずです。
まとめ:横田さんのレガシー
- 不屈の魂: 視覚障害を乗り越えて見せた奇跡のプレーは、努力の尊さを教えてくれる。
- 母子の絆: 2025年公開の映画を通じて、家族愛の物語が再び多くの人の心に届く。
- 希望の光: 彼の生き様は、今も病気と闘う人やその家族にとっての大きな希望であり続ける。
私も一人のファンとして、そして同じ時代を生きた人間として、彼の物語をこれからも大切に語り継いでいきたいと思います。






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