
2025年のNHK連続テレビ小説、通称「朝ドラ」の『ばけばけ』で主題歌を担当することになり、今まさに国民的な注目を集めているフォークデュオ、ハンバートハンバート。テレビから流れてくる彼らの音楽を聴いて、「なんだか懐かしくて温かい歌だな」と興味を持った方も多いのではないでしょうか。
実は私自身、彼らの音楽の深みにハマったのは、何気なく聴いた一曲に隠された「ある違和感」に気づいたことがきっかけでした。気になって検索窓に「ハンバートハンバート」と打ち込むと、サジェスト(予測変換)には「泣ける曲」と並んで、「怖い」「意味深」「トラウマ」といった、一見すると穏やかなフォークデュオには似つかわしくない不穏なワードがずらりと並びます。「えっ、どういうこと?」と驚きつつも、そのミステリアスな魅力に引き込まれてしまう人が後を絶ちません。
結婚式のBGMとして検討しているけれど、「怖い曲だったらどうしよう」と不安になっている方や、深夜に一人で聴いて思いっきり泣きたいけれど、どの曲が良いのかわからないという方もいるでしょう。彼らの音楽は、表面的な優しさの皮を一枚めくると、そこには人間の業(ごう)や深い孤独、そして死生観が横たわっています。しかし、だからこそ彼らの歌は、現代人の疲れ切った心に深く刺さり、救いとなるのです。
今回は、長年彼らの音楽を愛聴し、その歌詞世界に何度も救われてきた私が、ハンバートハンバートの「怖くてやさしい」魅力と、涙なしには聴けない名曲たちについて、独自の視点と詳細な解説を交えてご紹介します。
記事のポイント
ハンバートハンバートの泣ける曲が心に刺さる理由とは

ハンバートハンバートの曲を聴いていると、理由もなく涙が溢れてくることがあります。それは悲しいから泣くのとも、嬉しくて泣くのとも少し違う、心の澱(おり)が洗い流されるような感覚です。なぜ彼らの音楽はこれほどまでに私たちの感情を揺さぶるのでしょうか。単にメロディが美しいからだけではない、その根底にある「仕掛け」や「作家性」について、具体的な名曲を挙げながら深掘りしていきます。
朝ドラ主題歌の笑ったり転んだりに込めた思い

2025年後期、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の主題歌として書き下ろされた『笑ったり転んだり』。この楽曲は、ハンバートハンバートというアーティストが、お茶の間に広く認知される決定的な一曲となりました。ドラマ自体が、松江の没落士族の娘・小泉セツと、怪談文学で知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)という、「異文化を生きる夫婦」の物語である点も見逃せません。佐藤良成さんと佐野遊穂さんという実際の夫婦デュオが歌うからこそ、そこにはフィクションを超えたリアリティが宿ります。
曲調こそ、朝の始まりにふさわしい軽快で明るいフォークソングですが、歌詞に耳を澄ませてみてください。「笑ったり転んだり」というタイトルが示唆するのは、順風満帆なサクセスストーリーではなく、失敗や躓きを繰り返しながら続いていく、私たちの「生活そのもの」です。
私たちは普段、社会の中で「ちゃんとした大人」であることを求められます。転んでもすぐに立ち上がり、笑顔で振る舞うことを強要される毎日。しかし、この曲は「転んだままの姿」や「情けない自分」を否定しません。家路につく時のどっと押し寄せる疲労感や、ふとした瞬間によぎる将来への不安。そうした「誰にも言えない日常の裏側」を、「それでいいんだよ」と肯定してくれるような温かさが、この曲には満ち溢れています。
ここがポイント
「頑張れ」と鼓舞するのではなく、「私たちも同じだよ」と横に並んで歩いてくれるような距離感。その等身大のメッセージが、日々を懸命に生きる人々の張り詰めた緊張を解きほぐし、涙腺を緩ませるのです。
歌詞の意味が深いおなじ話の切ない解釈

ハンバートハンバートを語る上で絶対に外せない代表曲、それが『おなじ話』です。2005年の発表以来、ファン投票でも常に上位にランクインし続けるこの曲は、一聴すると、どこにでもいるカップルや夫婦の、穏やかで微笑ましい会話のように聞こえます。「王様の耳はロバの耳」といった童話の引用も、二人の仲の良さを象徴する遊び心のように思えます。
しかし、インターネット上の考察やファンの間では、この曲にはもっと切ない、あるいは少し「怖い」とも取れる解釈が定説として語られています。それは、この会話が「死別した二人による、次元を超えた対話」であるという説、いわゆる「ゴースト説」です。
歌詞の中で繰り返される「どこにいるの?」「君のそばにいるよ」という掛け合い。これを文字通り受け取れば「そばにいるのに姿が見えない」状況、つまり一方が霊的な存在であるとも読めます。また、タイトルにもなっている「おなじ話」が繰り返される状況は、時間が永遠に止まってしまった世界、あるいは生者が死者との思い出を何度も反芻している状況を暗示しているようにも感じられます。
| 歌詞のフレーズ | 一般的な解釈(日常) | 深読みの解釈(死別・ゴースト説) |
|---|---|---|
| どこにいるの? | 待ち合わせや、家の中で相手を探す声 | 姿が見えない、もうこの世にいない相手を探す悲痛な問いかけ |
| 君のそばにいるよ | 物理的にすぐ近くにいるよという返事 | 姿は見えないけれど、魂はずっとそばで見守っているよというメッセージ |
| おなじ話 | 仲良し夫婦のマンネリだが幸せな会話 | 記憶の中で繰り返される、もう更新されることのない最後の会話 |
ライブでは、佐藤さんと佐野さんが一本のマイクに寄り添うようにしてこの曲を歌います。その姿はとても親密で美しいのですが、上記の解釈を知ってから見ると、「もう二度と触れ合うことのできない二人が、歌の中でだけ寄り添っている」ようにも見え、その美しさが逆に涙を誘うのです。
読み解きのヒント
決して公式に「死別の歌」と明言されているわけではありません。しかし、聴く人それぞれの「失った大切な人」を重ね合わせることができる余白があるからこそ、この曲は多くの人の心に残り続ける名曲となっているのでしょう。
怖くてやさしいギャップが涙を誘うメカニズム

ハンバートハンバートの音楽が持つ中毒性、その正体は「メロディの明るさ」と「歌詞のシビアさ」の強烈なギャップにあります。彼らの音楽的ルーツには、アイリッシュトラッド、カントリー、アメリカンフォークといった、素朴で陽気な音楽があります。そのため、曲調だけを聴けば、ピクニックやドライブにぴったりの、朗らかな音楽に聞こえることが多いのです。
しかし、その軽快なリズムに乗せて歌われる歌詞の内容は、時に驚くほど残酷でシビアです。例えば名曲『ひかり』。優しく爪弾かれるギターと透明感のある歌声で始まりますが、その冒頭の歌詞は「練炭ひとつ買ってきて」という、明らかに自死の準備を連想させる衝撃的なラインから始まります。
人間は、悲しい曲調で悲しい歌詞を歌われると、ある程度身構えてしまいます。しかし、明るく優しい曲調で、不意に心の痛いところを突かれると、防衛本能が働きません。無防備な心に、歌詞がダイレクトに突き刺さるのです。この「認知的不協和」(イメージと現実のズレ)が引き起こす心の揺れこそが、ハンバートハンバート特有の「泣き」のメカニズムです。
「怖い」と感じるのは、彼らが人間の心の闇や死の気配を隠さずに描くからです。そして「やさしい」と感じるのは、そうした絶望的な状況にあっても、音楽だけは常に寄り添い続けてくれるからです。「死にたい」という気持ちさえも否定せず、ただ美しいメロディで包み込む。その究極の受容が、深いカタルシス(感情の浄化)をもたらしてくれるのです。
虎に見る社会人の苦悩と共感ポイント

社会の荒波に揉まれ、理不尽な要求や人間関係に疲弊しているビジネスパーソンにこそ聴いてほしいのが、『虎』という楽曲です。この曲は、高校の教科書などでも馴染み深い、中島敦の小説『山月記』をモチーフにしていると言われています。
『山月記』の主人公・李徴は、自尊心の高さゆえに虎に変身してしまいましたが、この曲の「僕」はさらに救いがありません。歌詞には「虎にもなれずに」というフレーズが登場します。これは、狂気や芸術の世界に身を投じて人間をやめることもできず、かといって社会に適合して平凡に生きることもできない、「中途半端な自分」への絶望を表していると解釈できます。
深い穴の底で「酒だ、酒だ」と管を巻き、「負けだ、負けだ、今日も負けだ」と自嘲する姿。それは、ブラック企業での過重労働や、夢を諦めた後の空虚感を抱えながら、それでも生活のために歯を食いしばって生きる現代人の姿そのものです。誰かに愚痴をこぼすこともできず、一人で酒を飲んで紛らわすしかない夜。この曲は、そんな孤独な夜のサウンドトラックです。
共感の理由
「頑張れば報われる」「明日はきっといい日になる」といった無責任なポジティブソングは、時に疲れた心には毒になります。逆に「俺たちは負け犬だ」と一緒になって歌ってくれるこの曲の、逆説的な「許し」に救われる大人が後を絶たないのです。
映画化で話題のぼくのお日さまの世界観

2024年、奥山大史監督によって同名の映画が公開され、カンヌ国際映画祭でも話題となった『ぼくのお日さま』。この楽曲は、ハンバートハンバートのディスコグラフィーの中でも、特に純粋で、かつ胸が張り裂けるほど切ない一曲として知られています。
テーマとなっているのは「吃音(きつおん)」です。歌詞の中には「く、く、く、くたばれ」と言葉がつっかえてしまう描写や、「あたまにきても ことばがでない」というもどかしさが、痛いほどリアルに綴られています。佐藤良成さん自身の実体験や感覚が反映されているとも言われるこの曲は、伝えたい思いが溢れているのに、それを言葉という形にできない苦しみを鮮烈に描き出しています。
映画では、吃音を持つ少年とフィギュアスケート少女の交流が描かれましたが、楽曲単体で聴いてもその情景は鮮やかに浮かび上がります。「お日さま」とは、自分を照らしてくれる憧れの存在であり、同時に直視できないほど眩しい存在でもあります。「ぼく」は影の中から、ただその光を見つめているだけ。
言葉にできない感情を抱えているのは、吃音を持つ人だけではありません。私たち大人もまた、言いたいことを飲み込み、誤解されたまま愛想笑いをして生きている瞬間があります。「うまく伝えられない」という普遍的な無力感に寄り添うこの曲は、言葉にならない悲しみを抱えたすべての人のための聖歌と言えるでしょう。
ハンバートハンバートの泣ける曲をシーン別に楽しむ

「ハンバートハンバートで泣きたい」と一口に言っても、そのシチュエーションは様々です。一人静かに感傷に浸りたい夜もあれば、人生の節目に感動的な涙を流したい時もあるでしょう。ここでは、利用シーンや心の状態に合わせて、最適な「泣ける曲」を厳選してご紹介します。特に結婚式での利用を考えている方は、選曲ミスを防ぐためにも必読です。
結婚式で流すなら選びたい感動ソング

アコースティックで温かみのあるハンバートハンバートの楽曲は、ナチュラルな雰囲気の結婚式や披露宴にぴったりだと思われがちです。しかし、前述した通り彼らの楽曲には「死別」や「別離」をテーマにしたものが多く含まれているため、メロディだけで選んでしまうと、歌詞の内容が祝いの席にそぐわないという事態になりかねません。

選曲の注意点
例えば『おなじ話』はデュエット曲として人気ですが、「もう会えない二人」という解釈があるため、避けるのが無難です。また『妙なる調べ』も「終わり」を想起させる描写があるため注意が必要です。歌詞の意味までしっかり確認しましょう。

では、どの曲なら安心か。私が自信を持っておすすめするのは『がんばれ兄ちゃん』です。タイトル通りお兄ちゃんを応援する歌ですが、幼い頃の記憶、喧嘩した日々、そして大人になってそれぞれの道を歩む兄弟の姿が、ノスタルジックなメロディに乗せて描かれています。
新郎新婦の生い立ちムービーや、兄弟姉妹からのお手紙朗読、あるいは退場のシーンなどで流せば、会場全体が温かい家族愛と涙に包まれること間違いありません。
メッセージなどの直球な名曲もチェック

普段はひねくれた視点や、社会の隅っこにいる人々の悲哀を歌うことの多い彼らですが、初期の名曲『メッセージ』だけは例外的に、驚くほどストレートなラブソングです。「もしも僕の声が君に届くなら」「僕は君が好きだ」と、飾り気のない言葉で相手への想いを歌い上げています。
佐藤良成さんもインタビューなどで「身も蓋もない歌詞だけど、そこが良い」といった旨の発言をされていますが、まさにその通り。小細工なしの「本気の愛」が、ハーモニカとギターの音色と共に真っ直ぐに飛んできます。愛する人への感謝を伝えたい場面、プロポーズのBGM、そしてもちろん結婚式でも、この曲の持つ純粋な力は、聴く人の心の鎧を脱がせ、素直な感動の涙を引き出してくれるはずです。
ライブのMCと演奏の落差で号泣する体験

もし、あなたが「泣ける体験」としてハンバートハンバートをさらに深く味わいたいなら、CD音源だけでなく、ぜひライブ(またはライブ映像作品)に触れてみてください。彼らのライブは、音楽的な素晴らしさはもちろんですが、「MC(トーク)」と「演奏」の凄まじいギャップが名物となっています。
夫婦漫才とも称されるMCでは、佐藤さんの毒舌やボヤキに、佐野さんが天然とも計算ともつかない鋭いツッコミを入れ、会場は爆笑に包まれます。まるで寄席に来たかのようなリラックスした空気感。しかし、ひとたび曲が始まると、空気は一変します。
佐藤さんの超絶技巧のフィドル(バイオリン)やギター、そして佐野さんの会場の隅々まで響き渡る透明な歌声。さっきまで笑っていた観客たちが、一瞬にして静まり返り、すすり泣く声が聞こえ始める…。この「笑って泣ける」感情のジェットコースターこそが、ハンバートハンバートの真骨頂です。感情が揺さぶられすぎて、ライブが終わる頃には憑き物が落ちたようにスッキリしていることでしょう。
親を見送った世代に響く妙なる調べ

ある程度の年齢を重ねた方、特にご両親を見送った経験のある方に、ぜひ一人静かに聴いていただきたいのが『妙なる調べ』です。夕暮れの情景を描写したこの曲は、一日の終わりを歌っていると同時に、人生の黄昏時、命の灯火が静かに消えゆく瞬間をメタファーとして描いています。
「壁にのびる影が長くなり、僕たちの影が薄くなる」といった歌詞表現は、この世からあの世へと境界線が滲んでいくような、厳かで静謐な気配を感じさせます。激しい悲しみや後悔の涙ではなく、「お疲れ様でした」「ありがとう」という静かな感謝と受容の涙を流したい時、この曲は天国へ旅立つ人へのレクイエムとして、そして残された者の心を癒やす薬として、優しく響きます。
又吉直樹も出演したMV映像の魅力

楽曲の世界観を視覚的に補完し、より深い感動へと誘うのがミュージックビデオ(MV)の存在です。特に話題となったのが、アルバム『FOLK 2』のプロモーションで制作された『虎』のMVです。この映像には、お笑い芸人であり作家の又吉直樹さんが出演しています。
カントリー調の軽快なリズムに合わせ、無表情でシュールなラインダンスを踊る又吉さん。その姿は滑稽でありながら、どこかどうしようもない哀愁が漂っています。「社会にうまく馴染めないけれど、それでも踊り続けるしかない」という、楽曲の持つ「不器用な大人の悲哀」が見事に映像化されています。
又吉さんの持つ文学的な雰囲気と、ハンバートハンバートの歌詞世界が化学反応を起こし、映像を見ながら曲を聴くことで、歌詞の一言一句がより痛切に胸に迫ってきます。「自分のことだ」と感じてしまう人は、きっと涙なしには見られないでしょう。
まとめ:明日を生きるハンバートハンバートの泣ける曲

ここまで、ハンバートハンバートの「泣ける曲」の数々を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。彼らの曲がなぜこれほどまでに心に刺さるのか、その理由が少しでも伝わっていれば嬉しいです。
記事のまとめ
- 彼らの曲は「明るいメロディ」と「シビアな歌詞」のギャップが涙を誘います。
- 『おなじ話』や『虎』など、歌詞の裏にある深い意味を知るとより感動が増します。
- 結婚式では『がんばれ兄ちゃん』など、家族愛や直球の愛を歌った曲がおすすめです。
- 彼らの音楽は、私たちの弱さや孤独を否定せず、そっと寄り添ってくれる「避難所」のような存在です。
ハンバートハンバートの曲で流す涙は、決してネガティブなものではありません。それは、日々の生活で溜まった心の澱(おり)を洗い流し、また明日から少しだけ前を向いて生きるためのデトックスなのだと思います。
彼らの音楽は、無理に「元気を出せ」とは言いません。「ダメなままでいいよ」「ここにいていいよ」と、私たちの存在を丸ごと肯定してくれます。もしあなたが今、何かに疲れ、誰にも言えない孤独を抱えているなら、今夜はぜひ、お気に入りのハンバートハンバートの一曲を聴いてみてください。そして、思いっきり泣いてください。その涙が乾く頃には、きっと少しだけ、心が軽くなっているはずです。
(出典:NHK『連続テレビ小説「ばけばけ」』公式サイト)



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