
「ニュースステーション」での鋭い眼光、「ザ・ベストテン」での軽快なトーク。昭和から平成にかけて、私たちのテレビ体験を鮮烈に彩ってくれた久米宏さん。「そういえば、久米宏さんはいつ亡くなったのだろう?」「最近見かけないけれど、現在はどうされていたのかな?」と、ふと気になって検索された方も多いのではないでしょうか。私自身、久米さんのラジオが生活の一部だった時期があり、その声が聞けなくなった寂しさをずっと感じていました。
【特別版】「ニュースステーション」風OP
— 報道ステーション+サタステ (@hst_tvasahi) January 13, 2026
「ニュースステーション」のキャスターを18年間にわたってつとめた久米宏さんが亡くなりました。81歳でした。
時に厳しく、そして痛快に縦横無尽のスタジオワークでニュースの本質に迫る姿は「テレビ報道の革命児」そのものでした。 pic.twitter.com/i9WK2mdFrV
実は、久米宏さんは2026年(令和8年)1月1日、肺がんのため亡くなりました。81歳でした。2020年にラジオ番組を終了されて以降、表舞台での露出が減っていたこともあり、突然の訃報に驚き、言葉を失った方もいるかもしれません。メディアの第一線から退いた後も、その存在感は決して薄れることがありませんでした。

この記事では、久米宏さんの死因や葬儀に関する詳細な事実関係、そして妻の麗子さんが語った「最期のサイダー」という涙を誘うエピソード、さらには晩年の活動や、あの伝説的な「ニュースステーション最終回」との不思議なリンクについて、当時の記憶を振り返りながら詳しく整理してお伝えします。久米さんが私たちに残してくれたものの大きさを、一緒に噛み締められたらと思います。
この記事でわかること
久米宏さんはいつ亡くなった?死因や葬儀について

長年にわたり日本のテレビ・ラジオ界を牽引し、常に「賛否両論」を巻き起こしながら新しい時代を切り拓いてきた久米宏さん。その最期は、彼が愛した「生放送」のような喧噪とは無縁の、非常に静かで穏やかなものでした。ここでは、久米宏さんがいつ亡くなったのかという正確な日付や、公表された死因、そして近親者のみで執り行われた葬儀の様子など、報道で明らかにされた事実関係を中心に、背景情報を交えながらお伝えします。
死因は肺がんだったという事実

久米宏さんの死因は「肺がん」であったことが所属事務所から公表されています。生前、ご本人が大々的に闘病生活をメディアで明かしていたわけではなかったため、訃報とともに初めて病名を知ったという方も多かったのではないでしょうか。私自身も、ラジオなどで聞いていたあの張りがあり、かつ理知的な声のイメージが強く残っていたため、呼吸器に関わるこの発表には胸が締め付けられる思いがしました。
久米さんといえば、かつては自他ともに認める愛煙家としても知られていました。ニュースステーションの放送終了後、プレッシャーから解放された一服を楽しみにしていたという逸話も耳にしたことがあります。しかし、晩年の雑誌への寄稿などでは「ドクターストップにより禁煙した」といった趣旨の発言もされており、健康面には人一倍気を使われていた様子もうかがえました。病状がいつ頃から進行していたのか、具体的な治療の経過や入院期間などは詳細に公表されていません。これは、「弱った姿を見せたくない」という、ダンディズムを貫いた久米さんらしい配慮だったのかもしれません。
肺がんは、日本人にとって非常に身近でありながら、恐ろしい病のひとつです。国立がん研究センターの統計データによると、肺がんは日本人の部位別がん死亡数で長年上位を占めています。特に男性においては死亡数の第1位となることも多く、高齢になるほどリスクが高まる傾向にあります。
(出典:国立がん研究センターがん情報サービス『がん統計の概要』)
81歳という年齢を考えれば、病と向き合う時間は当然あったことでしょう。それでも、最期まで「久米宏」としてのイメージを崩さず、公に心配をかけまいとした姿勢に、プロフェッショナルとしての矜持を感じずにはいられません。長年、言葉と声で社会を斬り続けてきた彼が、その源である肺の病で旅立ったことに、アナウンサーとしての壮絶な因縁のようなものを感じてしまうのは、私だけではないはずです。
死亡日は2026年1月1日

久米宏さんが旅立たれたのは、2026年(令和8年)1月1日、元日のことでした。享年81歳。新しい年が明け、日本中がお祝いムードに包まれているその日に、昭和・平成・令和をまたにかけて活躍した稀代のジャーナリストが、静かにこの世を去ったことになります。多くの方がおせち料理を囲んだり、初詣に出かけたり、新年のニュース特番を見たりしていたその時、久米さんは人生という長い番組の幕を下ろされていたのです。
元日という日付は、一度聞くと忘れられない強烈なインパクトがあります。これまで数えきれないほどのニュースを伝え、時には世間をあっと驚かせるような仕掛けをしてきた久米さんが、ご自身の最期の日をこのように印象的な日付で刻まれたことに、何か運命的なものを感じてしまいます。ご家族にとっても、これから毎年お正月を迎えるたびに久米さんのことを思い出すことになる、忘れがたい日となったことでしょう。
81歳という年齢は、人生100年時代と言われる現代においては、決して「早すぎる」ということはないかもしれません。平均寿命と比較しても、天寿を全うされたと言える年齢です。しかし、あの鋭い語り口、権力に媚びない姿勢、そして独特のユーモアセンスを持った語り手がもうこの世にいないと思うと、やはり喪失感は大きく、早すぎる別れだと感じてしまいます。「もっと今の政治について語ってほしかった」「この社会現象をどう切るか聞きたかった」。そんな叶わぬ願いが、私の胸の中にも渦巻いています。
事務所発表までのタイムラグの理由

久米宏さんが亡くなったのは1月1日でしたが、訃報が世間に公表されたのは、それから約2週間後の2026年1月13日でした。死亡日から発表までに12日間のタイムラグがあったことになります。ネット社会の現代において、これほどの大物の訃報が2週間近くも伏せられていたことは珍しいことかもしれません。この「空白の期間」について、何か特別な事情があったのかと気にされる方もいるかもしれませんが、これはご遺族の意向と、久米さんらしい「美学」によるものと受け取れます。
発表が遅れた主な要因として考えられること
- 静寂への願い:葬儀・告別式を近親者のみで静かに済ませ、最後のお別れを誰にも邪魔されずに過ごすことを最優先したため。
- お正月という時期への配慮:元日死去ということもあり、世の中が祝賀ムードにある中で水を差したくない、あるいは混乱を招きたくないという配慮があった可能性。
- 情報のコントロール:憶測や誤報が飛び交うのを防ぐため、所属事務所「オフィス・トゥー・ワン」による正式な事実確認と整理を経てからの一斉発表を選んだ。
近年、俳優の渡哲也さんや田村正和さんのように、亡くなってからしばらく時間を置いて公表されるケースが増えています。これは、故人とご遺族の最後の時間を守るための選択として、社会的に受け入れられつつあります。久米さんの場合も、「騒がしいのは番組の中だけで十分」とでも言うように、ご自身の最期はひっそりと、家族だけのものにしたかったのではないでしょうか。マスコミに追いかけられる側の大変さを誰よりも知っていた久米さんだからこそ、家族を守るために徹底した情報管理を行ったとも推測できます。
葬儀は密葬で喪主は妻が務めた

葬儀および告別式は、訃報が公表された時点ですでに執り行われていました。形式はいわゆる「密葬」で、参列者は近親者のみに限られたとのことです。芸能関係者や友人を招く「お別れの会」の予定なども現時点では報じられていません。喪主を務められたのは、長年連れ添った妻の麗子さんでした。
久米さんと麗子さんのご夫婦といえば、メディアでもたびたびその仲の良さや、絶妙な距離感の信頼関係が語られてきました。麗子さんはかつてスタイリストとして活躍されており、久米さんの洗練されたファッションやビジュアルイメージを裏方として支え続けてきたパートナーでもあります。まさに公私ともに二人三脚で歩んでこられたご夫婦でした。
大々的な葬儀を行い、豪華な祭壇を作り、著名人が列をなして焼香をする……といった従来の芸能人の葬儀スタイルを、久米さんは好まなかったのでしょう。「形式張ったことは嫌いだ」「権威的なものは滑稽だ」というスタンスを貫いてきた久米さんの生き方を考えれば、本当に親しい人たちだけで見送るというスタイルは、最も彼らしい選択だったと言えます。テレビカメラが入らない場所で、愛する人たちだけに囲まれて旅立つ。それは、数々の狂騒の中に身を置いてきた久米さんが最後に手に入れた、何より贅沢な安らぎだったのかもしれません。
妻の麗子さんが語る最期のサイダー

訃報に際して、妻の麗子さんが事務所を通じて寄せたコメントが、多くの人々の涙を誘い、同時に温かい気持ちにさせてくれました。その中で語られた最期の様子は、非常に具体的で、映像が浮かんでくるような、かつ久米さんらしいエピソードでした。報道によれば、久米さんは最期に「大好きなサイダーを一気に飲んだ後、旅立った」といいます。
妻・麗子さんのコメント(報道要旨)
「大好きなサイダーを一気に飲んだ後、旅立ちました。自由な表現者として駆け抜けた日々に、悔いはなかったと思います」
この「サイダー」のエピソードは、単なる水分補給の話ではありません。久米宏という、常に軽やかで、どこか少年の心を忘れない表現者の最期を飾るにふさわしい、清涼感さえ漂う情景として私たちの胸に迫ります。病床にあっても、湿っぽさや悲壮感よりも、「好きなものを飲んで、じゃあ行くよ」と言わんばかりの潔さ。苦しみ抜いた末というよりは、自分の意志でタイミングを決めてスッと旅立ったような、そんな凛とした姿をご家族が見届けられたことは、残されたファンにとっても一つの救いになるのではないでしょうか。
炭酸の泡のように、弾けて、消えていく。その儚さと爽やかさが、久米宏という稀有な存在のエンディングとして、あまりにも出来すぎていて、まるで一つの短編映画を見ているような気持ちになります。麗子さんの言葉選びもまた、久米さんへの深い愛情と敬意に満ちており、最期まで最高のパートナーであったことを物語っています。
久米宏さんがいつ亡くなったか振り返る晩年の活動

2020年にラジオのレギュラー番組を終了して以降、久米宏さんの姿をテレビやメディアで見かける機会はめっきり減っていました。そのため、「引退したのか?」「体調が悪いのか?」と心配する声もネット上では散見されました。ここでは、久米宏さんがいつ亡くなったのかという事実に加え、晩年はどのように過ごされていたのか、また、その功績がどのように振り返られているのかについて、公開情報を基に深掘りしていきます。久米さんは沈黙していたのではなく、形を変えて表現を続けていたのです。
ラジオ終了後の現在と空白の期間

2020年6月27日、14年間続いたTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』が最終回を迎え、これをもって久米さんはテレビ・ラジオのレギュラー番組から完全に退きました。奇しくもその年は、新型コロナウイルスが世界を覆い始めた時期と重なります。社会が大きく変わろうとするそのタイミングでマイクを置いたことに、久米さんなりの「時代の節目」を感じ取る嗅覚があったのかもしれません。
それ以降の約5年半、2026年に亡くなるまでの期間は、メディアへの露出が極端に少ない「沈黙の期間」とも言えます。しかし、完全に活動を停止し、隠居生活に入っていたわけではありませんでした。所属事務所のプロフィールにはウェブメディアでの配信(『Kume*Net』)についての記載があり、インターネットという新しいメディアの可能性に、80代目前になっても関心を持ち続けていたことがうかがえます。
また、時折雑誌への寄稿や、映画や書籍に関するインタビューに応じる姿も確認されていました。ラジオ終了時には「精神はチンピラでいたい」と語り、組織に属さず、権威に頼らず、外側から世の中を冷徹かつユーモラスに見るスタンスを強調していましたが、その言葉通り、晩年は静かな場所から社会を見つめ続けていたのでしょう。テレビに出ていないからといって「過去の人」になったわけではなく、表現の形を変えながら、最期まで思考し続ける「現在進行形の久米宏」がそこにはあったのだと思います。むしろ、沈黙することで、言葉の重みを高めていたとさえ言えるかもしれません。
2023年に文庫化された著書

久米さんの思考やテレビ論を知る上で、晩年の重要なトピックとなるのが、著書『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』の存在です。この本はもともと2017年に単行本として出版されたものですが、特筆すべきは、2023年に朝日文庫として文庫化され、再び書店に並んだことです。
| タイトル | 『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』 |
|---|---|
| 単行本刊行 | 2017年 |
| 文庫化 | 2023年(朝日文庫) |
| 内容 | 自身のキャリアの振り返りと、テレビメディア論 |
この衝撃的なタイトルが示す通り、久米さんは硬派な報道番組である『ニュースステーション』と、華やかな音楽番組である『ザ・ベストテン』を、「視聴者を引きつける」「生放送のダイナミズム」という点で同列に捉えていました。これは、テレビ業界の常識を覆す視点であり、今のYouTuberやインフルエンサーにも通じる「アテンション(注目)の獲得」の本質を突いたものでした。
文庫化された2023年は、久米さんが79歳になる年です。すでにメディア露出が減っていた時期ですが、この本を通じて久米さんのメディア論や仕事への向き合い方が、改めて若い世代や業界関係者に読み継がれるきっかけとなりました。亡くなる数年前にこうして自身のキャリアを総括する書籍が、手に取りやすい文庫という形で再出版されていたことは、彼の遺した「言葉」や「テレビ屋としての魂」を後世に伝える上で、遺言のような大きな意味を持っていると感じます。今読み返しても、その視点の新しさに驚かされる一冊です。
ニュースステーション最終回の記憶

久米宏さんの訃報に触れ、妻・麗子さんが語った「最期のサイダー」のエピソードを聞いた時、私を含め多くの視聴者が即座にフラッシュバックしたのが、2004年3月26日の『ニュースステーション』最終回の光景ではないでしょうか。あれは、日本のテレビ史に残る伝説的なエンディングでした。
18年半続いた番組のラスト、久米さんは最後の挨拶を終えると、スタジオに用意されたジョッキに入ったビールを、実に美味しそうに一気に飲み干して去っていきました。「ニュースキャスターが本番中に酒を飲むなんて不謹慎だ!」という批判も当時はありましたが、それ以上に「久米宏らしい」「最高の幕引きだ」という称賛の声が多かったと記憶しています。それは、報道番組という堅苦しい枠組みの中で、常に人間味とエンターテインメント性を忘れなかった彼なりの、視聴者への乾杯であり、重圧からの解放の儀式だったのでしょう。
最期にサイダーを飲んで旅立ったという事実は、あくまでご家族とのプライベートな出来事です。しかし、私たちファンにとっては、あの最終回のビールと重なって見えてしまいます。「ビールからサイダーへ」。飲み物はアルコールから清涼飲料水へと変わりましたが、最後まで自分の好きなように、喉を潤して軽やかに去っていく。湿っぽいお別れではなく、爽快感すら残して消えていく。そんな一貫した美学と演出を、勝手ながら感じずにはいられません。久米さんは最期の瞬間まで、私たちに「久米宏」を見せてくれたのだと思えてならないのです。
黒柳徹子さんら関係者からの追悼

久米さんの死を受け、かつての盟友やライバルたちからも、続々と追悼のコメントが寄せられました。中でも、『ザ・ベストテン』で長年名コンビを組んだ黒柳徹子さんの反応は、多くのメディアで大きく報じられました。黒柳さんはSNSなどを通じて、台本も打ち合わせもなしで完璧に成立したという当時のスリリングな掛け合いを懐かしみ、「あんなに頭の回転が速くて、面白い人は他にいなかった」と、唯一無二のパートナーを失った寂しさを吐露されています。
また、久米さんの後を受け継ぐ形で『報道ステーション』のキャスターとなった古舘伊知郎さんも、コメントを発表されています。古舘さんは常々、久米さんを「超えられない壁」「偉大な先達」としてリスペクトしていました。報道番組の枠組みを作った久米さんの功績と、その後を継ぐことの計り知れない重圧を知る古舘さんだからこそ語れる、深みのある追悼の言葉でした。
さらに、『ニュースステーション』初期を支え、久米さんの隣でニュースを読み続けた小宮悦子さんについては、「突然のことで言葉が見つからない」といった趣旨の反応が報じられました。共に戦場のような生放送を駆け抜けた同志としての、言葉にできない喪失感。その沈黙こそが、久米さんの存在の大きさを何よりも雄弁に物語っているように感じます。彼らは皆、久米宏という強烈な恒星の周りを回る惑星のように、彼の影響を受け、輝いていたのかもしれません。
まとめ:久米宏さんはいつ亡くなったかの総括

今回は「久米宏 いつ亡くなった」という検索キーワードを出発点に、その最期の事実関係と晩年の様子、そして彼が残したレガシーについて整理しました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
記事のまとめ
- 久米宏さんが亡くなったのは2026年1月1日、死因は肺がんでした。
- 訃報は1月13日に公表され、葬儀は妻・麗子さんを喪主として密葬で行われました。
- 最期にサイダーを飲んで旅立ったというエピソードは、伝説のニュースステーション最終回を彷彿とさせるものでした。
- 晩年はラジオ終了後も執筆などを続け、2023年には著書が文庫化されるなど、最後まで表現者としての灯を消しませんでした。
久米宏さんが遺した功績は、単に人気番組を長く続けたということ以上に、「自分の言葉で語る」「疑う視点を持つ」という姿勢を日本のメディアに定着させた点にあると思います。整然と原稿を読むだけのアナウンサー像を破壊し、個人の感情や見解を乗せてニュースを伝えるスタイルは、今の報道番組の基礎となっています。
2026年の元日に静かに旅立たれた久米さん。その鋭い視点と軽やかな語り口、そして最期まで貫いた美学は、これからも私たちの記憶の中で、そして日本の放送史の中で生き続けることでしょう。天国でもきっと、大好きなサイダー(もしかしたらビール?)を片手に、雲の上から今の日本を見て「相変わらずだねえ」とニヤリと笑っているかもしれません。



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