
お笑い界の重鎮、オール巨人の人物像に迫ります。現在の年齢や芸歴だけでなく、オール阪神との年齢差や経歴、明石家さんまとの関係性、志村けんとの交流、さらには頸椎を痛めた過去や身長184cmという体格が舞台に与える影響など、多角的に紹介。
さらに嫁として知られる青木みきとの結婚生活や年収、芸人としての信頼までを網羅し、その魅力と実績を深掘りしていきます。
記事のポイント
- 現在の年齢と芸歴、人生の転機を紹介
- オール阪神との年齢差とコンビ結成秘話
- 芸人としての原点と高校卒業後の経歴
- さんまや志村けんとの関係性を掘り下げ
- 家族や年収、芸能界での評価も解説
オール巨人の年齢は何歳?これまでの歩みに迫る

現在は何歳?芸歴と人生の転機について
オール巨人さんは、1951年11月16日生まれで、現在の年齢は73歳です。※記事の閲覧日で年齢は自動計算
本名は南出繁(みなみで しげる)さんで、大阪市天王寺区出身です。芸人としての活動歴は50年に及び、その長いキャリアの中で幾度もの転機を迎えました。
1975年に吉本興業へ所属して以降、漫才師としての人生を本格的にスタートさせました。現在も精力的に舞台に立ち続けており、そのエネルギッシュな活動ぶりからは年齢を感じさせない存在感を放っています。人生の転機として特筆すべきは、吉本新喜劇俳優・岡八朗さんとの出会いと弟子入り、そして後述するオール阪神さんとのコンビ結成です。
特に岡八朗さんの存在は、オール巨人さんの芸人人生を支える重要な柱となりました。岡八朗さんのもとでの弟子修行があったからこそ、後の厳格な師弟関係や芸へのこだわりが培われたといえるでしょう。
年下のオール阪神とのコンビ結成エピソード
オール巨人さんが後の相方となるオール阪神(高田昭徳)さんと出会ったのは、演芸番組『素人名人会』などで活動していた素人時代でした。当時、まだ高校生だった6歳年下の高田さんと慰問演芸で一緒に舞台に立ったことがあり、それが観客に非常に好評だったことから、自然とコンビとしての可能性が開かれました。
当初は臨時の組み合わせにすぎなかった二人ですが、息の合った掛け合いが評価され、吉本興業の関係者から正式なコンビ結成を勧められました。高田さんの高校卒業を待っていたオール巨人さんは、そのタイミングを見計らって吉本に入門。1975年、コンビ「オール阪神・巨人」が誕生しました。
当時、吉本興業には現在のような養成所がなかったため、芸人になるには誰かの弟子になるのが通例でした。オール巨人さんとオール阪神さんは揃って岡八朗さんの弟子となり、約9ヶ月間、師匠のもとで修行を積みました。この修行時代の経験が、彼らのコンビとしての基礎を形作る重要な期間となりました。
高校卒業後に歩んだ経歴と芸人としての原点
オール巨人さんは大阪商業高等学校(現在の大商学園高等学校)を卒業後、家業である鶏卵卸売業に就職しました。この仕事に従事する一方で、素人演芸番組に出演するなどして芸の世界に触れていました。模写や漫談などを得意とし、徐々に演芸の魅力に惹かれていったといいます。
その中で、老人ホームや刑務所での慰問公演も行っており、ここでオール阪神さんと出会いました。若くして人前での表現を重ねることで、芸人としてのスキルと自信を身につけていきました。この頃から、観客の反応に手応えを感じ、芸人としての道を本格的に志すようになります。
岡八朗さんの弟子になったことで、彼の人生は大きく変わりました。当時の吉本には芸人志望者が多く、それぞれが厳しい修行の中でしのぎを削っていました。オール巨人さんも、そんな中で漫才師としての信念を固めていきました。
頸椎を痛めた過去と舞台復帰への覚悟
芸歴の中で、オール巨人さんには健康面での試練もありました。とくに、C型肝炎と診断された1997年以降は、身体に大きな負担を抱えながらの活動が続きました。さらに、頸椎を痛めたことにより、舞台に立つことすら危ぶまれる時期がありました。
この頸椎の怪我は、漫才師としての命とも言える「立ち姿」に大きな影響を与えるものでした。しかし、治療やリハビリを続ける中で、「再び観客の前で漫才をしたい」という強い思いが彼を突き動かしました。
オール巨人さんは、闘病中も舞台を休まず、注射治療を受けながら漫才を続けたというエピソードがあります。副作用に悩まされながらも、「舞台の上に立てば不思議と痛みを忘れる」と語っていたその姿勢は、多くの人々に感動を与えました。
身長184cmの体格が演芸活動に与える影響
オール巨人さんは身長184cmという堂々たる体格を持ち、その見た目から「モンスター」や「全部ジャイアンツ」などのニックネームで呼ばれることもあります。この高身長は、舞台において非常に目を引く要素となっており、観客に強いインパクトを与えています。
とくに、相方のオール阪神さんとの身長差がコンビの見た目に面白さを加え、漫才におけるボケとツッコミのコントラストを一層際立たせています。巨人さんの立ち姿や動きそのものが「演技」として成立しやすく、彼の高身長は漫才師としての武器の一つとなっているのです。
また、学生時代から運動が得意で、柔道の経験もあるオール巨人さんは、若い頃からその体格を活かして「強面」として知られていました。その印象が、芸の中でも「怖いけど実は優しい師匠」というキャラクター性を築く一因にもなっています。
オール巨人の年齢は何歳?さんまとの関係から見る芸能界での位置づけ

明石家さんまとの友情と先輩後輩の関係性
オール巨人さんと明石家さんまさんは、同じ1970年代中盤に吉本興業へと所属し、芸能界デビューを果たした“同期”にあたる存在です。厳密にはオール巨人さんがわずかに先輩ではありますが、さんまさんや島田紳助さんとは同じ時期に活躍を始めたことから、お互いを対等に「お前」「俺」と呼び合う間柄です。
当初、オール巨人さんはすでに落語家としての修行経験があったため、形式上は先輩にあたります。しかし、さんまさんは「兄さん呼ばわりはやめてくれ」と頼み込み、以降は気のおけない友人関係として交流を深めていきました。
この二人の関係性は、単なる芸人仲間を超えた深い信頼に基づいており、テレビ番組やイベントなどでも互いの芸に対するリスペクトが随所に見られます。また、さんまさんはオール巨人さんの「弟子を真剣に育てる姿勢」や「厳しさの裏にある愛情」に感心しており、そうした人格面でも尊敬の念を抱いているとされます。
志村けんとの交流や共演時のエピソード
オール巨人さんは、志村けんさんとも共演経験を通じて親交を深めました。志村さんがコントを主体としたお笑いを追求していたのに対し、オール巨人さんは漫才を軸に活動を続けていたため、芸風は異なりますが、その違いを尊重し合う姿勢が印象的でした。
共演番組では、志村さんが自由奔放にボケるスタイルに対し、オール巨人さんが絶妙な間合いでツッコミを入れたり、突拍子もない展開にも冷静に対応する場面が見られ、プロ同士の芸に対する真剣なやり取りが感じられました。
また、志村さんの突然の訃報の際には、オール巨人さんはメディアを通じて深い哀悼の意を表し、「芸人としての芯の強さと優しさを持った、真のプロフェッショナルだった」と語っていました。
嫁・青木みきとの結婚生活と家族の支え
オール巨人さんの妻は、元吉本新喜劇の女優・青木みきさんです。お二人は吉本興業を通じて知り合い、結婚後も夫婦として互いに支え合ってきました。青木さんは一時期、C型肝炎を患いインターフェロン治療を経験しています。これは巨人さんが治療を受ける数年前のことで、夫婦揃って同じ病に立ち向かった経験があるのです。
治療は副作用も大きく、青木さんは注射後に3〜4日間も寝込むことが多かったといいます。それでも夫婦で互いに励まし合い、治療に前向きに取り組む姿は、芸能界でも珍しい深い夫婦愛のエピソードとして知られています。
家庭では2人の子どもを育てており、長男・南出仁寛さんはプロゴルファー・タレントとして活動、娘の南出一葉さんはかつて吉本新喜劇に所属していました。公私ともに支え合う関係で、巨人さんは家族の存在を「自分の活動の原動力」と表現しています。
芸能界での実績から見る年収と評価
オール巨人さんは、50年に及ぶ芸能生活の中で多数のテレビ番組、舞台、音楽活動、書籍出版を通じて広く活躍してきました。なかでも、M-1グランプリの審査員を務めたことで、若手芸人への評価基準を公に示し、その存在感を確立しました。
また、歌手としても活動しており、「男の子守唄」などの持ち歌で紅白歌合戦に内定したこともあります。残念ながらその際はピコ太郎さんに出場枠を譲る形となりましたが、そのエピソードも漫才のネタとして披露し、話題を呼びました。
このように多角的な活躍を続けるオール巨人さんの年収について公表はされていませんが、テレビ・舞台出演料、CD・書籍の印税、講演などの収益を合わせると、数千万円規模にのぼると推察されます。なかでも弟子の育成やM-1の審査といった「芸の伝承」的な役割からは、金銭以上の評価と敬意が寄せられています。
オール阪神とともに築いた芸人としての信頼
オール阪神・巨人は、1975年のコンビ結成以来、日本の漫才界を牽引してきた存在です。ボケ担当のオール阪神さんと、ツッコミ担当のオール巨人さんとの絶妙なやりとりは、関西を中心に多くのファンを魅了し続けています。
お互いの性格や芸風の違いを理解し、長年にわたり信頼関係を築いてきたからこそ、50年に渡って第一線で活躍し続けられたのでしょう。オール阪神さんはお酒が苦手で愛煙家、一方のオール巨人さんは酒豪でタバコを嫌うといった、プライベートでも正反対の性質を持っていますが、それがかえってバランスの取れたコンビとしての魅力を生み出してきました。
また、弟子たちに対しても共に厳しく接する姿勢を共有しており、漫才界の「風紀委員」として後進を正しく導く姿勢は、若手芸人からも信頼されています。芸歴50年という長さだけでなく、その間に保ってきたプロ意識と信頼関係が、今もなお漫才師・オール巨人の評価を高めている要因です。
総括:オール巨人の年齢は何歳?さんまとの関係性や年収についての本記事ポイント

本記事では、「オール巨人 年齢」を中心に、彼の芸人としての歩みや人間関係、私生活にまで焦点を当ててきました。ここで、これまでの内容をわかりやすく振り返り、要点を整理して総括いたします。
オール巨人の年齢と芸歴
- 1951年11月16日生まれで、2025年時点では73歳。
- 1975年に吉本興業入りし、芸歴は50年におよぶベテラン芸人。
明石家さんまとの関係性
- 芸歴ではオール巨人がやや先輩だが、両者は“同期”として対等な関係を築いている。
- 呼び方も「お前」「俺」とフランクで、気兼ねない友情が長年続いている。
志村けんとの共演と交流
- 志村けんとの芸風の違いを尊重し合う姿勢が見られ、共演では緊張感のある掛け合いも。
- 志村さんの死去時には、その芸人魂と人柄を深く讃えたコメントを発信。
家族と妻・青木みきの支え
- 妻・青木みきとはお互いがC型肝炎治療を経験しており、共に闘病を乗り越えてきた。
- 子ども達もそれぞれの道で活躍し、家族の支えが活動の原動力となっている。
芸能界での評価と年収
- M-1グランプリ審査員や歌手、著者としても活動するなど多方面で実績。
- 推定年収は数千万円規模とされ、金銭面以上にその存在感と信頼感が芸能界で評価されている。
オール阪神とのコンビとしての信頼
- 相方・オール阪神とともに築いた信頼関係は、芸人の理想形として知られている。
- 約50年続く名コンビとして、世代を超えて支持されている。
オール巨人さんはその芸歴や人間性、築いてきた人間関係、家族との絆を通じて、日本の漫才界を象徴する存在です。彼の歩みを知ることで、漫才という芸の奥深さと芸人として生きる覚悟のようなものを垣間見ることができます。今後もその活動に注目が集まることでしょう。
コメント