
こんにちは、mochanです。
2026年1月、ニュースを見ていて「えっ、まさか」と声を上げてしまった方も多いのではないでしょうか。かつて韓国の大統領だった尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏に対し、検察が法定最高刑である「死刑」を求刑するという、衝撃的な展開を迎えました。
【裁判】韓国・尹錫悦前大統領に死刑を求刑、非常戒厳めぐる内乱首謀罪https://t.co/wUHxOxtgiM
— ライブドアニュース (@livedoornews) January 13, 2026
同氏は2024年12月、戦争などの国家非常事態でなかったにもかかわらず非常戒厳を宣言するなど国の秩序を乱す目的で暴動を起こした罪に問われている。これまでの裁判では一貫して否認してきたという。 pic.twitter.com/Ks3SGKDnbi
「一体、尹錫悦は何をしたの?」「どうして一国の大統領が死刑求刑までされることになったの?」
そんな疑問を持って検索されている方も多いと思います。正直、私もあの2024年12月の夜、テレビで非常戒厳のニュースを見たときは、現代の民主主義国家である韓国でこんなことが起きるのかと目を疑いました。まるで映画の世界の話が現実に起きてしまったような感覚でしたよね。

今回は、この歴史的な大事件を整理してみました。難しい政治用語や法律用語はなるべく噛み砕き、あの日何が起きたのか、そしてなぜ「死刑」という重い言葉が出てきたのか、その理由と経緯を分かりやすく深掘りしていきます。
記事のポイント
- 尹錫悦氏が非常戒厳令を出した本当の理由と裏側
- 国会や選挙管理委員会で実行された衝撃的な作戦内容
- 妻・金建希夫人を巡る疑惑と逮捕に至るまでの経緯
- 2026年現在の裁判状況と韓国社会のリアルな反応
尹錫悦は何をした?非常戒厳の衝撃と理由

まずは、すべての始まりとなった2024年12月3日の「非常戒厳」について振り返ります。あの日、尹錫悦氏は具体的に何をしたのか。その行動の一つひとつが、現在の「内乱首魁(しゅかい)」という罪状に繋がっています。
非常戒厳令を出した理由と経緯

時計の針を少し戻しましょう。2024年12月3日の夜22時25分ごろ、突然のテレビ中継で尹大統領(当時)が「非常戒厳」を宣言しました。このニュース、日本でも速報で流れ、SNSが一気に騒然としたのを覚えています。
彼がテレビカメラの前で語った理由は、「北朝鮮に従う勢力(従北勢力)から国を守るため」、そして「国会が犯罪者の巣窟になって行政が麻痺しているから」というものでした。言葉だけを聞くと、まるで国が転覆寸前であるかのような危機感を煽る内容でしたね。しかし、これには多くの韓国国民や世界中のウォッチャーが首をかしげました。なぜなら、当時の韓国は戦争中でもなければ、国内で大規模な暴動が起きて治安が崩壊していたわけでもなかったからです。
では、実際のところ、何が彼をそこまで追い詰めたのでしょうか?
その後の調査や報道で明らかになった背景には、尹氏自身の政治的な「行き詰まり」がありました。当時、国会では野党「共に民主党」が過半数を占めており、予算案の大幅な減額修正や、大統領夫人である金建希(キム・ゴンヒ)氏の疑惑を捜査する検事の弾劾を強力に推進していました。尹氏はこれを「国政の麻痺」と表現しましたが、民主主義のシステムにおいて、国会が政府をチェックするのは当たり前の機能です。
つまり、彼は政治的な対話や妥協で局面を打開するのではなく、自身の権力が及ばなくなることを恐れ、軍という物理的な力を使って無理やり盤面をひっくり返そうとしたのです。これが、世間で「自作クーデター」と呼ばれる最大の理由です。国民を守るための戒厳ではなく、自分の政権を守るための戒厳だった――その身勝手な判断が、取り返しのつかない事態を招くことになりました。
非常戒厳とは?
本来は戦争や内乱など、国家の存立が危ぶまれる緊急事態にのみ許される措置です。大統領の一存で、国民の権利や国会の機能を制限できる強力な権限ですが、憲法や法律で厳格な要件が定められています。今回のケースでは、その要件を全く満たしていなかったことが最大の問題とされています。
国会への軍突入と武力制圧の実態

「尹錫悦は何をしたか」を語る上で、最も衝撃的で、かつ民主主義への挑戦だったのが、国民の代表が集まる国会議事堂への軍事介入です。あの映像は、何度見ても背筋が凍る思いがします。
12月4日の未明、ソウルの夜空にヘリコプターの音が響き渡りました。投入されたのは、対テロ作戦などを担う精鋭部隊「第707特殊任務団」や「第1空挺旅団」などの特殊戦司令部(特戦司)の兵士たちです。彼らは完全武装し、ヘリから国会の敷地内に降下すると、本会議場への突入を試みました。
国会議事堂の窓ガラスが割られ、銃を持った兵士たちが中に入ろうとする――。これに対し、国会の事務局職員や補佐官たちは、机や椅子を積み上げて必死にバリケードを築き、消火器を噴射して抵抗しました。あの白い煙が充満する中での攻防戦は、まさに戦場そのものでした。
さらに恐ろしい事実が、その後の捜査で明らかになっています。現場の指揮系統に対し、「国会議員を拘束(逮捕)しても構わない」といった極めて危険な指示が出ていたとされる点です。もしあそこで、興奮した兵士が発砲していたら? もし職員や議員に死者が出ていたら?
歴史に「たられば」は禁物ですが、あの一夜は大規模な流血の惨事、あるいは内戦に近い状態に発展しかねない、ギリギリの状況だったのです。これは単なる「脅し」や「パフォーマンス」ではなく、明確な意思を持った物理的な実力行使でした。国民が選んだ代表者を武力で排除しようとする行為、それこそが民主主義の死を意味することは言うまでもありません。
選管急襲とメディア遮断の真実

実は、軍の作戦目標になっていたのは国会だけではありませんでした。ニュースでは国会の攻防ばかりが注目されがちですが、水面下ではもっと陰湿で危険な動きがあったんです。
あまり大きく報じられていないかもしれませんが、京畿道果川市にある中央選挙管理委員会(NEC)にも、軍の部隊が派遣されていました。ここに向かったのは、国防部直轄の「国軍情報司令部」の要員たちです。彼らは警察や戒厳軍とともに施設を取り囲み、サーバー室への進入や選挙関連資料の確保を試みました。
なぜ選挙管理委員会だったのでしょうか?
その背景には、尹大統領やその周辺の一部が信奉していたとされる「陰謀論」があります。「2024年4月の総選挙で野党が圧勝したのは不正選挙だった」という、根拠のない説を証明するために、強引に証拠を押収しようとしたのです。選挙という民主主義の根幹システムを、軍の力で掌握し、自分たちの都合の良いように書き換えようとした――そう捉えられても仕方のない行動です。
さらに恐ろしいのが、「言論統制」の動きです。尹大統領は、李祥敏(イ・サンミン)行政安全部長官を通じて、報道機関へのインフラ遮断を指示していた疑いが持たれています。具体的には、政権に批判的なメディアや世論調査機関をターゲットにし、物理的に情報を発信できないようにしようと画策していました。
もしこれが完全に実行されていたらどうなっていたでしょう? 私たちはテレビやネットで現地の状況を知ることすらできず、暗闇の中で何が起きているのか分からないまま、朝を迎えていたかもしれません。情報の遮断と武力による制圧。これらは、まさにクーデターの教科書通りの手口であり、その計画性と悪質性が浮き彫りになっています。
内乱首魁の罪に問われた法的根拠

さて、こうした一連の行為がなぜ「内乱首魁(しゅかい)」という、聞き慣れないけれど極めて重い罪になるのでしょうか。ここでは少し法律の話を噛み砕いてみましょう。
韓国の刑法第87条には「内乱」に関する規定があります。これは、国の領土を奪ったり、国の憲法秩序を乱したりする目的で暴動を起こした者を処罰する法律です。そして、その暴動を主導したリーダー(首魁)には、「死刑または無期懲役・無期禁錮」という、最も重い刑罰しか用意されていません。
検察側(特検チーム)が尹錫悦氏をこの罪で起訴し、死刑を求刑したのには、明確な法的ロジックがあります。
特検が指摘する3つの重大な違法性
- 憲法秩序の破壊(国憲紊乱):憲法が定めている戒厳の要件(戦時・事変)が存在しないにもかかわらず、嘘の理由をでっち上げて発動したこと。これは憲法停止を狙った実力行使に他なりません。
- 物理的な危険性:軍や警察という実力組織を動員し、国会という憲法機関を武力で封鎖・制圧しようとしたこと。実際に特殊部隊を突入させた事実は、「暴動」の要件を満たすと判断されました。
- 再発防止の歴史的責務:1979年の「12・12軍事反乱」を起こした全斗煥(チョン・ドゥファン)・盧泰愚(ノ・テウ)元大統領以来の、軍を動員した権力犯罪です。ここで厳格に断罪しなければ、将来また同じことをする権力者が現れるかもしれない、という危機感があります。
つまり、大統領という「憲法を守る最高責任者」の仮面を被ったまま、自らその憲法を破壊しようとした裏切り行為。これこそが、情状酌量の余地がないと判断された最大の理由なのです。
公判廷での態度と国民の反応

2026年1月13日、ソウル中央地方法院で開かれた結審公判。この歴史的な日、法廷に立った尹氏が見せたある「態度」が、国民の感情を逆なでし、火に油を注ぐ結果となりました。
紺色のスーツに白シャツ姿で出廷した尹氏は、特検が論告で「死刑」という言葉を口にした瞬間、あきれたように「ふっ」と鼻で笑うような仕草(空笑い)を見せたと報じられています。この一瞬の表情は、多くのメディアで取り上げられました。
普通、死刑を求刑される場面であれば、動揺するか、あるいは深刻な表情になるのが人間というものでしょう。しかし、彼のその態度は「自分は間違っていない」「この裁判自体が茶番だ」と言わんばかりの、法廷と国民に対する侮蔑的なメッセージとして受け取られました。
実際に、彼は最終陳述でも「非常戒厳は亡国的な弊害に対する警告であり、国民への訴えだった」と従来の主張を繰り返し、内乱の意図を全面的に否定しています。「国のためを思ってやったことだ」という確信犯的な態度は、被害を受けた国会関係者や、不安な夜を過ごした市民にとっては、反省の色なしと映るのも無理はありません。
韓国社会の反応は、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎです。進歩・中道層からは「民主主義を守るための当然の求刑だ」「態度が悪すぎる」と歓迎・批判する声が圧倒的ですが、一方で保守・極右層の一部では依然として「尹錫悦救出」を叫ぶデモも続いており、社会の分断は深まっています。
尹錫悦は何をした結果、現在どうなったか

あの一夜の暴走は、結果として尹錫悦氏自身の破滅を招きました。ここでは、彼が権力の座からどのように転落し、家族や政治情勢にどんな影響を与えたのかを見ていきましょう。
弾劾訴追の成立から逮捕までの流れ

戒厳令が解除された直後から、尹氏への風当たりは台風のような猛烈さで強まりました。野党が即時の下野(辞任)を求めたのはもちろんですが、衝撃的だったのは、身内であるはずの与党「国民の力」からも彼を見放す動きが出たことです。
最初の弾劾投票こそ不成立に終わりましたが、世論の激昂と、尹氏が「戒厳は統治行為だ(だから法的責任はない)」と開き直ったことに反発が広がり、2024年12月14日に行われた2回目の投票で、ついに弾劾訴追案が可決されました。賛成204票、反対85票。与党内からも多くの造反者が出た結果です。
これにより、尹大統領の職務は即座に停止されました。しかし、ドラマはここで終わりません。彼は職務停止後も大統領官邸に留まり続け、警護処(PSS)を使って捜査員の立ち入りを拒むなど、徹底抗戦の構えを見せたのです。

これに対し、警察と特検チームは強硬手段に出ました。2025年1月15日、官邸への強制捜査を執行し、ついに尹錫悦氏を内乱容疑などで逮捕(拘束)しました。現職大統領(職務停止中とはいえ)が、在任中の行為で逮捕されるというのは、韓国憲政史上でも前代未聞の事態です。テレビで流れた、官邸から連行される彼の姿は、権力の儚さと恐ろしさを同時に伝えるものでした。

その後、憲法裁判所での約4ヶ月にわたる審理を経て、2025年4月4日、裁判官8人の全員一致で「罷免(ひめん)」が決定。これにより彼は正式に大統領職を失い、一般人として刑事裁判の被告席に座ることになったのです。
妻である金建希夫人の疑惑と逮捕

尹氏が無理な戒厳令を出した裏には、実はもう一つの大きな動機があったと噂されています。それが、夫人である金建希(キム・ゴンヒ)氏を守ることでした。しかし、夫が権力を失えば、その「聖域」も当然消滅します。
金建希氏には、以前からドイツモーターズの株価操作に関与した疑惑や、高級ブランドバッグを受け取った疑惑などがくすぶっていました。しかし、特検の捜査が進むにつれ、さらに深刻で生々しい疑惑が次々と明るみに出ました。
特に衝撃を与えたのが、「現代版の売官」とも呼ばれる疑惑です。大統領夫人の地位を利用し、人事への介入や選挙の公認権と引き換えに、多額の金品を受け取っていたのではないかという疑いです。また、旧統一教会側との癒着や便宜供与の疑いも報じられ、国民の怒りは頂点に達しました。
結果として、夫の失職後である2025年8月12日、ソウル中央地裁は証拠隠滅の恐れがあるとして彼女の逮捕状を発付。かつてのファーストレディは、ソウル南部拘置所に収監されることとなりました。検察は彼女に対しても、収賄や株価操作などの罪で懲役15年という重刑を求刑しています。夫婦そろってこれほど重い罪に問われるというのは、韓国政治史を見渡しても極めて異例の悲劇と言えるでしょう。
検察による死刑求刑の内容と今後

そして迎えた2026年1月13日。特別検察官チームは、尹錫悦氏に対し、法定最高刑である「死刑」を求刑しました。
検察側は論告の中で、今回の事件を「権力を維持するために軍と警察を動員した明白なクーデター」と定義しました。特に強調されたのは、以下の点です。
検察が死刑を求めた理由
「国民から委任された権力で、国民の代表機関である国会を武力制圧しようとした行為は、国家の存立そのものを危うくする反逆行為である。大統領という最高責任者がこのような暴挙に出た以上、最も重い責任を問うことが、歴史的な正義を立て直す唯一の道である。」
韓国は1997年以来、死刑を執行していない「実質的な死刑廃止国」です。そのため、実際に尹氏が処刑される可能性については、法曹界でも意見が分かれています。しかし、検察があえて「無期懲役」ではなく「死刑」を選択したことには、強いメッセージが込められています。「民主主義を破壊しようとした罪は、それほどまでに重いのだ」という国家の意志表示ですね。
注目の一審判決は、2026年2月19日にソウル中央地裁で言い渡される予定です。裁判所が検察の主張を認め、死刑判決を下すのか、それとも無期懲役などにとどめるのか。世界中がその瞬間に注目しています。
政権交代と李在明新大統領の誕生

尹政権の崩壊に伴い、韓国では予定より早く大統領選挙が行われました。2025年6月3日に実施された「第21代大統領選挙」です。
ここで勝利を収めたのが、野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)氏でした。彼は、あの戒厳令の夜、軍の封鎖をかいくぐって国会の塀を乗り越え、議場に駆けつけた一人です。その行動力が「民主主義を守った象徴」として評価され、国民の支持を集めました。
選挙結果は以下の通りです。

| 候補者名 | 政党 | 得票率 | 得票数 |
|---|---|---|---|
| 李在明(イ・ジェミョン) | 共に民主党 | 49.42% | 17,287,513票 |
| 金文洙(キム・ムンス) | 国民の力 | 41.15% | 14,395,639票 |
| 李俊錫(イ・ジュンソク) | 改革新党 | 8.34% | 2,917,523票 |
新しく発足した李在明政権は、「第7共和国」の幕開けを掲げ、国家の正常化に着手しています。特に、今回のような暴走を防ぐために、強大すぎる検察権力の縮小や分離を進める改革が急ピッチで行われています。また、外交面でも、尹政権時代の対日・対米偏重を見直し、より国益を重視した実利外交へと舵を切っています。
まとめ:尹錫悦が何をしたか振り返る

長くなりましたが、尹錫悦氏が何をしたのか、そしてその結果どうなったのかを整理してきました。
彼がしたこと、それは一言で言えば「民主主義のシステムを暴力で止めようとした」ことに尽きます。自分の思い通りにならない政治状況を、話し合いや法的手続きではなく、軍隊という力でねじ伏せようとした。その代償は、自身の破滅だけでなく、韓国社会に深い傷跡を残すことになりました。
しかし、私がこの一連の事件から感じるのは、恐怖だけではありません。むしろ、韓国の民主主義の「底力」と「回復力」です。
完全武装した軍隊が迫る中で、逃げずに国会に集まって反対票を投じた議員たち。ネットやSNSで情報を拡散し、非暴力で抗議の声を上げ続けた市民たち。そして、時の最高権力者であっても、法に基づいて厳正に裁こうとする司法の姿勢。
「尹錫悦は何をした」という検索の答えは、一人の指導者の暴走の記録であると同時に、それを自分たちの手で食い止めた、韓国国民の闘いの記録でもあるのですね。
2月の判決が出れば、また大きなニュースになることは間違いありません。その時はまた、このブログで最新情報を分かりやすく整理してお伝えしたいと思います。歴史の目撃者として、この行方をしっかりと見守っていきましょう。
| 時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 2024.12.03 | 非常戒厳宣布 | 22:25頃、尹大統領が緊急談話を発表。国会・選管へ軍投入。 |
| 2024.12.04 | 戒厳解除 | 国会が決議案可決(190対0)、未明に解除表明。 |
| 2024.12.14 | 弾劾訴追可決 | 国会で可決され大統領職務停止。 |
| 2025.01.15 | 尹錫悦逮捕 | 現職大統領(職務停止中)として異例の拘束。 |
| 2025.04.04 | 大統領罷免 | 憲法裁判所が弾劾を認容し失職。 |
| 2025.06.03 | 大統領選挙 | 李在明氏が当選、政権交代。 |
| 2026.01.13 | 死刑求刑 | 内乱首魁の罪で特検が死刑を求刑。 |
| 2026.02.19 | 一審判決(予定) | ソウル中央地裁にて判決言い渡し予定。 |


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