
冬のスポーツ観戦といえば、氷上のチェスとも呼ばれるカーリング。ストーンが滑っていく音や、選手たちの緊迫した掛け声、見ているとどんどん引き込まれてしまいますよね。中でも、フォルティウスの司令塔(スキップ)として活躍する吉村紗也香選手の凛とした美しさと、勝負所で見せる鋭い眼差しには、私も以前からずっと注目していました。
そんな吉村選手ですが、ネットの検索窓に名前を入れると「吉村紗也香 若い頃 昔」というキーワードや、結婚や子供に関する話題がよく出てきます。確かに、今は落ち着いた大人の魅力にあふれる彼女ですが、高校生時代に「常呂高校WINS」として大旋風を巻き起こした当時の姿や、メイクやファッションがどのように変化してきたのかは、ファンならずとも気になるところではないでしょうか。
女子カーリング日本代表・吉村紗也香選手の出身高校や大学はどこ?身長や血液型についてもhttps://t.co/ZP9yZvChmx#北海道銀行 #カーリング女子世界選手権#吉村紗也香#カーリング日本代表#curling #フォルティウス#ロコ・ソラーレ
— 灰原@RIZINはPPVで観る派! (@hyper_mma_shoyu) April 30, 2021
北海道銀行フォルティウスがんばれ!! pic.twitter.com/x3Q62wCLoc
そこで今回は、吉村紗也香選手の若い頃の知られざるエピソードや昔の伝説的な試合、そして現在の母としての圧倒的な強さまでを、長年彼女を応援してきたファンの視点も交えながら徹底的にリサーチしてまとめてみました。過去の物語を知ることで、これからの彼女の活躍がもっと楽しみになるはずですよ。
記事のポイント
吉村紗也香の若い頃や昔の伝説と可愛い画像エピソード

まずは、吉村紗也香選手がカーリング界に颯爽と登場し、一気に注目を集めた学生時代の話から始めていきましょう。今の冷静沈着な司令塔としての姿とはまた少し違う、フレッシュで勢いのある「若い頃」のエピソードは、まさにスポーツ漫画の主人公のような輝きを放っていました。
常呂高校WINS時代の可愛い制服姿とバレー部

吉村紗也香選手のキャリアを語る上で絶対に外せないのが、彼女が率いた伝説のチーム「常呂高校WINS」の存在です。北海道の常呂町(現・北見市)という日本のカーリング聖地で育った彼女は、地元の幼馴染たちとチームを結成。なんと高校生にして日本のトップ争いに食い込むという離れ業をやってのけました。
当時、特に世間の話題をさらったのが、彼女たちの制服姿です。氷の上では鋭い眼光でストーンを投じ、大人顔負けの戦術を駆使する彼女たちが、試合前後のインタビューや移動時に見せるあどけない制服姿。この強烈なギャップはメディアでも大きく取り上げられ、「女子高生カーラー」としての一大ブームを巻き起こしました。今のカーリング人気があるのも、彼女たちが蒔いた種が花開いた部分が大きいのではないかと私は思っています。
実はスポーツ万能な「二刀流」だった?
意外と知られていないのですが、吉村選手は高校時代、カーリングだけでなくバレーボール部にも所属していた「二刀流」のアスリートでした。カーリングのデリバリー(投球)姿勢には強靭な体幹とバランス感覚が必要ですが、バレーボールで培われた身体能力がその土台になっていたのかもしれませんね。放課後は体育館とカーリングホールを往復する日々だったそうで、そのストイックさは昔から変わっていないようです。
学生時代の吉村紗也香はメイクも華やかなアイドル風?

現在では、洗練された大人の女性という印象が強い吉村選手ですが、若い頃のメイクやファッションの変遷を辿ると、その時々の流行や彼女の心境の変化が見えてきます。
常呂高校時代の吉村さん
— maroon (@maroon_azalea) September 7, 2025
この写真は上白石萌歌ちゃんに似てるね…?
素朴な可愛らしさがあったな〜懐かしい#吉村紗也香#フォルティウス pic.twitter.com/B9r39qKlBv
高校時代から大学、そして北海道銀行フォルティウスに加入した当初(2010年代前半)の頃を振り返ると、当時のギャル文化やアイドルトレンドを取り入れた「少し強めのメイク」や「華やかなアイドル風」のスタイルが印象的でした。特に目力を強調したアイメイクや明るめのヘアカラーは、氷上で自分を鼓舞し、相手チームにプレッシャーを与える「戦闘モード」の表れだったようにも感じます。
吉村 紗也香たんですね、わかります RT 常呂高校カーリング部美人やな!! (via @ajinyk)
— まっは (@eikura77) March 9, 2010
女子カーリング、常呂高校の吉村紗也香のかわいさが異常。4年後大注目。
— 鈴木 (@szk7) March 9, 2010
ファンとして見ていても、年を重ねるごとにメイクが引き算され、素材の良さを活かしたナチュラルで透明感のあるスタイルへと変化していく様子はとても素敵だなと思います。「昔も可愛いけれど、自信と実績を積み重ねた今が一番美しい」と言われる所以ですね。
チーム青森と戦った昔の日本選手権での衝撃

私が個人的に最も衝撃を受け、「この選手はすごいことになる」と確信したのが、2009年と2010年の日本カーリング選手権での活躍です。当時、日本女子カーリング界の絶対女王として君臨していたのは、オリンピックにも出場していた「チーム青森」でした。本橋麻里選手などが所属する、まさに雲の上の存在です。
そんな絶対王者に、なんと高校生だけの単独チームである常呂高校WINSが決勝で挑んだのです。結果としては2年連続で準優勝でしたが、経験豊富な大人のトップ選手たちを相手に一歩も引かず、堂々としたショットを決める吉村選手の姿は、鳥肌が立つほどのかっこよさでした。
当時の日本選手権で高校生チームが準優勝するという快挙は、カーリング界に大きな衝撃を与えました。「いつか必ず日本一になる」という強い意志が、あの時の悔し涙から生まれたのかもしれません。
札幌国際大学での世界ジュニア銅メダル獲得の軌跡

高校卒業後、吉村選手はチームメイトと共に札幌国際大学へ進学し、チームの結束を維持したままさらなる高みを目指します。ここで彼女は、国内だけでなく世界へとその名を轟かせることになります。
まず国内では敵なしの状態でした。日本ジュニアカーリング選手権では、なんと前人未到の3連覇(2010年~2012年)を達成。同世代の中では頭一つ抜けた存在だったことが分かります。
そして圧巻だったのが、2013年にソチで開催された世界ジュニア選手権です。スキップとしてチームを牽引し、カナダやスウェーデンといったカーリング強豪国と互角に渡り合い、見事に銅メダルを獲得しました。この時見せた精度の高いドローショットと、プレッシャーのかかる場面でのメンタルの強さは、「早熟の天才」が「世界レベルのスキップ」へと完全に進化したことを証明する出来事でした。
藤澤五月ら黄金世代ライバルとの関係性

吉村紗也香選手を語る上で欠かせないのが、切磋琢磨してきた同世代のライバルたちの存在です。特に現在ロコ・ソラーレのスキップを務める藤澤五月選手や、サードの吉田知那美選手とは同じ1991-92年生まれの学年で、ジュニア時代から何度も対戦してきた盟友であり、宿命のライバルです。
「黄金世代」と呼ばれるこの年代の選手たちが、北海道の北見エリアを中心に激しく競い合い、お互いが刺激となって日本女子カーリング全体のレベルを底上げしてきました。若い頃から顔を合わせ、時には悔し涙を流し、時には国際大会で仲間として称え合ってきた彼女たちの関係性には、単なる勝敗を超えたスポーツマンシップの美しさを感じますね。
吉村紗也香の若い頃や昔から現在への華麗なる変遷

ここからは、社会人となり、プロフェッショナルとしての厳しさに直面しながらも成長を続けた「大人の吉村紗也香」にフォーカスしていきます。

結婚や出産といった大きなライフイベントを経て、彼女がどのように進化していったのかを見ていきましょう。
北海道銀行フォルティウス時代の苦悩と成長

2014年、吉村選手は新たなステージとして強豪「北海道銀行フォルティウス」に加入しました。ここは、日本のカーリング界を牽引してきたレジェンド、小笠原歩選手らが作ったチームです。当初はサードとして小笠原選手を支え、2015年には念願の初のシニア日本一を経験しました。
しかし、小笠原選手からスキップという重責を引き継いだ後は、苦難の道のりも待っていました。ちょうどその頃、同学年のライバルである藤澤五月選手率いるロコ・ソラーレが台頭し、日本選手権で準優勝が続く時期があったのです。「あと一歩で勝てない」という悔しさを何度も味わい、世間から「シルバーコレクター」という心無い評価を受けることもあったかもしれません。

それでも彼女は折れませんでした。ショットの精度を磨き続け、2021年の日本選手権決勝では、ついに宿敵ロコ・ソラーレを破り優勝。「勝負所で神がかったショットを決める」という彼女の真骨頂が発揮された瞬間でした。その後の北京五輪代表決定戦では最終戦までもつれる激闘の末に惜しくも敗れ、涙を見せましたが、あの時の悔しさが今の彼女をさらに強くしているのだと思います。
吉村紗也香の結婚や子供と現在の生活

競技人生の激動の中、プライベートでも大きな変化がありました。吉村選手は2020年5月に一般の方との結婚を発表されています。
そして、多くのファンが祝福したのがお子さんの誕生です。2023年12月14日に第一子となる長男を出産されました。現役のアスリートとして第一線で活躍しながら、妊娠・出産というライフイベントを迎える決断は、並大抵のことではなかったはずです。産休中もチームメイトが彼女の場所を守り、彼女自身も復帰を見据えて準備をしていた絆の強さが感じられます。
出産を経て競技に復帰する女性アスリートは増えていますが、カーリングのスキップという高度な集中力、氷を読む判断力、そして数時間の試合をこなす体力が求められるポジションでの復帰は、本当にすごいことだと思います。
産後復帰でママさんスキップとして日本一へ

産休期間を経て、2024年に本格的にトレーニングを再開した吉村選手。復帰後の彼女は、以前にも増して精神的にタフになり、包容力のようなものが備わったと言われています。

その成果がいきなり現れたのが、記憶に新しい2025年の日本選手権(第42回大会)でした。なんと、復帰間もない状態でチーム(フォルティウス)を優勝へ導き、2025年世界選手権の日本代表の座を勝ち取ったのです。
| 年度 | 大会名 | チーム | 成績 |
|---|---|---|---|
| 2009 | 日本カーリング選手権 | 常呂高校WINS | 準優勝 |
| 2013 | 世界ジュニア選手権 | 札幌国際大 | 3位(銅メダル) |
| 2021 | 日本カーリング選手権 | 北海道銀行 | 優勝 |
| 2025 | 日本カーリング選手権 | フォルティウス | 優勝 |
(出典:公益社団法人 日本カーリング協会『大会結果』)
「母は強し」という言葉がありますが、守るべき存在ができたことで、彼女の氷上での佇まいに優しさと強さが同居するような、新しいオーラが加わったように感じます。ママさんスキップとして世界に挑む姿は、働く女性や子育て中のファンに大きな勇気を与えています。
私服にも注目が集まる
最後に、氷の外での彼女についても少し触れておきましょう。吉村選手のルックスと同じように「私服姿も見たい」と注目が集まっています。
みなさん、こんばんは🙋♀️✨
— 吉村紗也香 (Sayaka Yoshimura) (@yoshimura920130) December 8, 2021
まずは自己紹介から…吉村紗也香です。笑
Twitter始めます😃
これから色々と自分なりに発信していこうと思います!
よろしくお願いします☺️ pic.twitter.com/cw8l7lWqGn
今日で31歳になりました✨
— 吉村紗也香 (Sayaka Yoshimura) (@yoshimura920130) January 30, 2023
みなさんたくさんのお祝いメッセージありがとうございました😊❤️✨
良い1年になるよう頑張ります!⭐️
昨日チームのみんなにお祝いしてもらいました💕💕ありがと〜😘 pic.twitter.com/7L2ONRrrwC
残念ながら、吉村紗也香選手の私服姿の写真は非常に少ないのですが、XやInstagramで時折フォルティウスの仲間とのオフショットで私服姿が登場することがあります。
おしゃれしている姿を期待する方も多いと思いますが、残念ながらチームメンバーとの日常を収めた写真がほとんどでおしゃれしている姿は見つけることができませんでした。
今後、オリンピックなどで注目されてメディア出演が増えると私服姿を目にすることも増えるかもしれませんね。
まとめ:吉村紗也香の若い頃や昔の姿

ここまで、吉村紗也香選手の若い頃のエピソードや昔の可愛い画像時代の伝説、そして母となった現在の活躍についてご紹介してきました。こうして振り返ってみると、彼女のキャリアがいかにドラマチックであるかがよく分かります。
- 常呂高校WINS時代の制服姿と日本選手権準優勝の衝撃は今も語り草。
- 世界ジュニア銅メダルなど、若い頃から世界レベルの実力を証明してきた。
- 結婚・出産を経て、ママさんスキップとして日本一に返り咲く強さを持っている。
- メイクやファッションも、年齢とともに洗練された大人の美しさへと進化している。
「吉村紗也香 若い頃 昔」と検索して彼女の過去を知ることは、単に懐かしむだけでなく、現在進行形で進化し続ける彼女の凄さを再確認することに繋がります。
2026年のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに向けて、さらに円熟味を増したプレーを見せてくれることでしょう。これからも、美しく強い「氷上の司令塔」から目が離せませんね。






コメント